好喜心は何とかをなんとか

宮尾美也さんのことを中心とした私趣味のことを書いたブログです。毎週末付近に更新予定。

どくはく【2】

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【Music of Journey(君の音)】


以前、職場の違う部署の先輩にあることを聞かれた。

 

それが、『最近、新しく聞き始めた音楽とかありますか?』 ということ。

 

ミリオンライブで定期的に新しいユニットが生まれるからそれもありかな?とは考えたが、こうした2次元的コンテンツの話ではないなと感じたところもあったので、「あんまりないですね」と返した。すると、『新しい音楽を聴かなくなるのは老化の始まりだそうですよ』とのこと。


この話にエビデンスがあるのかは分からないが、急に話してきて老化始まってますよ!みたいなことを言われるのは少しモヤっとした。もうそんなに若くないのは自覚しているが。


この新しい音楽を聴かないというのは、個人的に自分に当てはまるところもあるし、そうでないとも思う。


車の運転中に音楽を聴くことが多いのだが、車内では主にSOUL 'd OUTかアイマスラブライブ!サンシャイン!の曲を聴いている。この聞くレパートリーはそういえばもうここ2年程は変わっていないようにも思う。幸いなことに SOUL'd OUT以外はまだ新曲が出るのでまだ新鮮さはあるが、音楽のジャンルというか聞いている音楽の大枠は変わっていないようにも思う。

 

ただ、一方で昨年の下半期からはBUMPや、宮本浩次などといった名だたるアーティストや、俗にいうボカロ曲などもいくつか聞くようにもなった。 最近では、Palette ProjectさんなどVTuberさんの曲も聞くようになり、 ここ数年の中では個人的に聞く音楽のジャンルがバリエーションに富んでいるようにも思う。


そう考えると、自分は新しい音楽を聴いている様な気がしてくる。なんなら、むしろ聞いている方なのではないかと錯覚すらする。

 

こうした、年を取ることと音楽を新しい音楽を聴かなくなるということに対して、ネットサーフィンをしていると、こんな記事を見つけた。

 

 

この記事を見ると、若い時期、10〜20代の時期に、刺激を受けるものを後々の人生でも好いていく傾向があるように見てとれる。

 

そう考えると、私は10〜20代の頃に多くのアニメやゲームに触れたために、今でもこういう世界を楽しいと思っているのだろう。思えば、アイマスに触れたのもこの辺りだったな。

 

一方で、最近になってから、若い人の聞く音楽の良さが分からないことも出てきた。好きとか嫌いとかではなく、単純に耳障りに感じてしまう。自分が子供の時に親が言っていた、「最近の曲はよくわからん」とはこのことなんだなと実感する。以前までは曲を聞いてそれが自分の中で好きか、嫌いかに分類していた中で、次第に聞いてもよく分からない、理解できない曲が出てくるようになったことで耳障りと感じてしまうのだと考える。

 

また、そもそも年齢関係なく自分の興味のない歌に関しては元より理解できないと感じること方が多いとも思ってしまう。すべての人がそうとは言えないが、例を挙げるとするとアニメに全く興味ない人がアニソンを聞いて不快に感じてしまうのも上記したような、理解できないということから来ているのではないだろうか。

 

こうしてだんだんと理解できないと感じる曲が増えていき、年を取るごとに聞く音楽の幅が広がらず、何年も同じようなものになってしまうのだろう。

 

音楽のサブスクが浸透し、無数の音楽を聴くことが出来るようになったことで、自分がその時に聞きたい曲をポンと思いつくチカラが鈍くなったよ うに思う。そんな時に、昔から聞いている曲はとりあえず聞くには心地いい。結局、聞くと気持ちいい一方で、代り映えのないその時間にどこか寂しさも感じてしまう。

 

新しい曲を聴こうとする行為や、新しい曲に触れるといった体験をしていないことで、自分の中の好奇心というものがすり減っているように思う。 音楽に限ったことではないが、こうした好奇心というものは年を取ったとしても高い感性で持ち続けていきたい。

 

上記の記事でも書かれているが、新しい世界へと自ら進んで踏み込んでいかなければ音楽の世界は広がらず、いつまでも狭いままである。これは音楽の話だけにとどまらず、言い過ぎかもしれないが自身の人生においても同じことが言えるのではないだろうか。自分から世界を広げるという行為を行っていかないと、自身の生活は変わることはなく今のままでずっと同じところを堂々巡りしているようにも感じてしまう。

 

自分の中で好奇心というものは、桶に入った水のイメージで少しずつ年を取ることで枯れていくものだと思っていたが、実際は筋肉のように、自分で世界を広げる刺激を自らに与えて、鍛えていくものなのかもしれない。好奇心は成長させるものなのだ 。そう考えると、個人的には自分の知らない世界へと飛び込んでいくなどして、 自分の世界を広げることの大切さを改めて実感した。

 

そう思うと、いろんな界隈にいる『にわか』と呼ばれる存在は、もしかしたら凄いモノなのかもしれない。自分の中では新規ファンくらいに思っていたが、自己成長という目線で見ると、新しい世界にやってきた挑戦者のようにも見える。実際は、ブームだとかそういうものに踊らされたりしている人が大概であったりするだろうが、それでも斜に構えてソレを知ることなく批判したりするよりはよっぽどマシなようにも思う。

 

だとしたら、昨年からVtuberの世界にも興味を持ち始めた、 Vtuberにわかの私も成長という目線ならば凄いのではないだろうか!と、言ってみる。 自分に対してはカフェオレを飲んだ後の口の中くらい甘いので、これは冗談として。どんなものでも興味を持ってみるよう、意識のアンテナを高くしておこうと個人的には思う。


年を取って運動をしないと筋肉が衰えるように、好奇心も興味を持つということをしないと衰えてしまうのだろう。


若くはないが、老いてもいない。今の自分はそう感じるがきっと10年、20年経ってもこの感覚は持っていそうで恐ろしい。

 

ならばせめて、好奇心だけはいつまでも旺盛でいて、それを老いてはいないという証拠にして、これからも過ごしていきたいと思う。