好喜心は何とかをなんとか

宮尾美也さんのことを中心とした私趣味のことを書いたブログです。毎週末付近に更新予定。

どくはく【6】

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少し前の頃の話。私のいくつかあるXのアカウントの中の1つの界隈で「イベントに行けないということをわざわざ言わないでほしい」という話題で盛り上がっていた。


ファンのみんなが参加できるイベント、なんてものがあれば理想的ではあるが現実はそんなに甘くない。開催地だったり、日程だったり、イベントの内容だったり、人数制限上がったりなどである程度参加できるファンは絞られるのが普通だろう。


ただ、そんな中でイベントに「行ける」と「行けない」というのがどうして言ってはいけないのかという話だが、個人的には行けないというのを「わざわざイベントの主催や関係者の目に入る所で」言ってはいけないということだと思う。


これは、私の失敗談でもあるのだが、私もこの「イベント行けません宣言」を目に入る形でしたことがある。


その時は、何のイベントだったか忘れてしまったのだが、イベントするので来てねというポストに特に何も考えず行けないので、「イベントに行けないことと、関西でもやってほしいな」的なことを書いたように思う。


私の場合、この後、おそらく自分のことをたしなめる様なフォロワーのポストを目にして、自分がやったことが人に嫌な気持ちを感じさせるんだということに気づけたので、以降の私は自分の都合で行けない場合は特にそのことについて語らず、抽選に漏れたなどのしてイベントに行けない場合のみ、抽選に外れたとだけつぶやくようにしている。


結論としては、行けないのなら無言を貫くのが正解なのだろうが、行きたかったイベントに漏れてしまった場合はその気持ちの吐露くらいはしてもいいんじゃないだろうか。もしかしたら、これもわがままなのかもしれないが。


ともあれ、自分の発言を他者が見たときにどんな気持ちになるかを考えれば、分かるような問題なのだが、自分の好きなものだったりすると少し思考力が低下してしまうのは、過去の自分の行動からしても分からないこともないというのが正直なところだ。


とはいえ、「自分は行けない」というのを実際に他の人が見たらどう思うかというのは、一度考えてみる必要はあるのかもしれない。例えば、自分が友人グループや親しいコミュニティでもいいのですが、その人たちを楽しませようと企画を考え、それをほかの人に伝えたときに「行けない」と言われたらどうだろうか?

 

シンプルに悲しい気持ちになるんじゃないか、と思う。

 

だからと言って、「行けない」と言うことが悪いとは一概にも言えない。要は伝え方なのかな、と。


一つは、上記したようにわざわざ本人や本人の目の届く範囲でいう必要がないこと。言ったところで、自分が行けるようになったり、イベントの内容が変わるわけではないんだから。言わなくてもいいことを、いかに言わないかというのも一つのネットリテラシーだと思ってる。


あと、行けないのなら愚痴っぽく言うのではなく、少しでも前向きな形で表現できればいくらか感じ方はマイルドになるんじゃないかと考える。

 

「行けない」じゃなくて、「行けませんが、参加される方は私の分も楽しんできて!」のように書けば、受ける印象はまた変わってくるのではないか。

 

とはいえ、イベントを企画する側も「行けない」というより「行ける」という話題を聞きたいのではとも思う。実際に、イベント参加を喜んでいる人のポストはよく目にしますので、「行けない」というマイナスなものよりも「行ける」というプラスのファンを見てほしいとも思いますが、これはかなりエゴかもしれない。
実際自分も同じ立場だったら、マイナスな方が頭に残る気がする。

 


なら、どうしたらいいの?ってことで詰まるところ、個人的には「行ける」時にはそれを全力で喜んでポストするなりリプするなどして嬉しさを伝え、「行けない」のならば無言を貫くのが一番のように感考える。


現に、私も4月のとあるイベント当落でXフォロワーたちが持ち上がっている中、何も話さないのはそういうこと。


ただ、この自分が行けないのに、周りが「行ける」と喜んでいるのは結構精神衛生がよろしくない。


私は地方住まいで、東京のイベントに参加するだけで平均4万近く飛んでいくので、参加するイベントを吟味しており基本イベントには参加できない人なのでこうした経験は慣れっこであるため、ある程度自分をコントロールできていると感じているが、こうした経験が少なかったりすると、多少のヘイトは積もっていってしまうのも無理ないとも思う。

 

だらだらと書き綴ってきたが、言いたいこととしては、過去の自身の経験を踏まえた上で、「行けない」ことを企画者にわざわざ言うことは、大変失礼なことだと考える。


改めて見ても、そりゃそうだろ。と思うかもしれないが、私のように無意識にこれに近しいことをしてしまっている人も少なからずいるのではないだろうか。


SNSなどで、本来ならば自分の言葉など届くことのなかった相手に声が届くようになった今だからこそ、当たり前の人対人のコミュニケーションを思い出す必要があるのではないかと、ここ最近強く思った。


距離が近くなりすぎて、そんな当たり前が薄れてしまっているのだ。


今一度、私自身も自戒しよう。