好喜心は何とかをなんとか

宮尾美也さんのことを中心とした私趣味のことを書いたブログです。毎週末付近に更新予定。

どくはく【1】

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【ツラいことほど思い出す】

 

皆さんは自分の趣味にどれくらい真剣になっていますか?


この『真剣』というものの程度は、人それぞれで違っているかと思いますが、こう聞かれたときにあなたは答えられるでしょうか。


私を例に挙げますと、今は『真剣』に取り組んでいる!と人に大袖を振って言えるものは無いように感じます。


私にとっての『真剣』とは行動であり、生活においてソレをなによりも最優先にし、半ば生活を疎かにしてでもソレに強い熱量を注ぐこと。と考えています。


今でこそ真剣なものは無いと言いましたが、それは趣味対して興味が薄くなったから、というよりは自分の生活に合わせて自分なりに居心地の良い程度に楽しんでいると感じているのでこう考えました。


それこそ、5~6年ほど前はミリオンライブ、その前はアイカツ! に真剣だったように思います。


ライブのある日は、休みを入れ全日程見られるようにしたり、アプリの連続ログインが仕事などで途絶えるとひどく落ち込んだり、休日の深夜からずっとゲーセンに入り浸って、アイカツ!を遊んだりしていました。


これが年を重ねて来たり、周囲や自分の中の熱の変化で、だんだん と今のような形にシフトしてきたように思います。

 


個人的な思いとしては、趣味に対して必ずしも『真剣』である必要はないと思います。


自分のペースで楽しむことが一番。


それが一番楽しい。

 


ですがまぁ、こんな言葉はもう胸焼けがするくらいいろんなところで言われていることでしょう。何でこんな手垢のつきまくった事を今更言いたいのか。

 

それはですね、私がふと思い出したからです。昔のことを。

 

 


【タガタメ】


まずですが、以前にも独白は書いたことがありますが、個人的には コレを若いオタクの人たちに見てもらい、こういう考え方があるんだなとか、こういう人もいるんだなといった知見を広めるのに使ってもらいたいと思っています。

 

有識者でも無いし、何より過疎ブログですし、ブログを眺めることが果たして知見を広めるの に有効なのかは分かりませんが。

 


話を戻します。


思い出したのは、10年近く前に友人Aから私の趣味に対して言わ れた言葉でした。


『いいかげん、真剣にやったら?』


10年近く前のことなので、この内容であったかはっきりと覚えて はいませんが、こんなニュアンスのことだったように思います。


これをどんな意味で言ったのかは分かりませんが、言われた当時の 自分は少し腹立たしかったように覚えています。そりゃあそうですよね。自分で は『真剣』に楽しんでいたつもりなんですから。


それを端から、なんでそんなことを言われなければならないのかと 。


ここでの『真剣』というのも曖昧なもので、先ほどの言葉の隠れていた意味を考えると『いいかげん、(人が見て分かるくらい)真剣にやったら? 』というものだったんじゃないかと推察します。本当にこういう意味で言ったかは 、今となっては確認の使用がありませんがね。


とはいえ、人にそんな中々に失礼なことを言うんだから当の本人は どうなんだ?となりますが、その友人Aの趣味に対する姿勢は、私から見たら『 真剣』と感じるものでした。

 

このAと自分は何が違っていたのか。自分なりに考えてみたのですがコンテンツへの向き合い方だったように思います。

 

2つほど例に出しますと、 Aはスマホゲーであれば高難易度のクエストに挑戦したり、編成の試行錯誤、その知識を集め学習していました。また、カードゲームにおいてもデッキ構築の考え方や、カードの役割について自分なりに学んでいたように思います。当然、これは私からの視点でしかないので、もっと努力をしていたんじゃないかなぁ、と。


一方で、私の方といえば、スマホゲーなら高難易度に進んで挑むということはなく、現状日課としているクエストをクリア出来ればいいし、討伐ま でに時間のかかるクエストでも最適化を求めることなく特に編成を弄ることもない。

カードゲームでも新弾の情報こそ取得するも惰性で購入していいるところがあり、それが自分の所有しているデッキにどのような強化をもたらすかをあまり考えていませんでした。

 

今は変わったのか?と聞かれたら、少し回答に困ってしまいます。変わりはしましたが、まだまだ足りないように感じます。


こうした差から、A氏はクエストのクリアやデッキの質が上がるといった向き合った成果が目に見える形となって、それを『真剣さ』として、私は捉えていたのかもしれません。


趣味と向き合わず、与えられるものを一方的に受け取っていただけの私の手には、Aと同じ時間を過ごしたにも拘らず、コンテンツを好きだった期間という、月日の長さしか残っていませんでした。

 

 


【魔物】


ここまで書いて、『なら、ただ好きなだけではだめなのか。成果が目に見えなければ真剣ではないのか?』と言われたら、私はそうでは無いと思います。

 

これこそ、前述したように、自分のペースで楽しむことが一番。だと思うからです。


結果として、Aはコンテンツに対して上記のように取り組むことが楽しかった。一方で私は情報をただ受け取るのが楽しかった。Aが私のように情報を受け取るだけだったら、早々に興味を失っていたのではないかと考えます。私にとっては情報を得るだけで十分に楽しかった。それだけのことだったのかな、と。


ただ、私は楽しんでいると自分で思いつつも、Aから言われた『真剣』という言葉が引っ掛かり、心のどこかで自分のこの楽しみ方は『真剣』なモノではないのだなという思いもあったので、Aに対して羨ましさもありました。


個人的な考えとして、人は誰もがこうした輝く人に対して憧れを持つものだと思います。自分も趣味に対して『真剣』に取り組みたいと願うのは自然なことかと。ただ、ここから、それを憧れだけで終わらせるのか、少しでも憧れに近づくために模索するかは人それぞれなのかなと考えます。


自己評価にはなりますが、実際に昨年、宮尾美也さんの合同誌の記事を考え、作成していた時の私はキラキラ輝き『真剣』だったと自負しています 。『真剣』に向き合えば、そこでしか見えない景色はありますし、そこでの楽しさもありました。趣味の話に限らず、『真剣』に向き合えば、向き合った分だけ楽しさなどの体験として返ってくるのだと思います。


とはいえ、そう思っていても、頭では分かっていても行動に移すことのできない人もいると思います。その頭と行動のギャップに悩み苦しむことがあるかと。私がオタクになり始めた時期と違い、今ではSNSで他の人の『真剣さ』が嫌でも目に入るようになった気がします。当時の自分が今の時代にオタクになり始めていたとしたら、この目に入ってくる他者の『真剣さ』がずっと心に引っ掛かる続けていたでしょう。


無意識にでも、人の『真剣』と自分を比較することで、自分はこれでいいのかと迷ってしまうのです。『真剣』に向き合わなければいけないという謎の強迫観念めいたものが、常に体に纏わりついている気がします。この目に見えない魔物と、どう付き合っていくかというのが大切なのかもしれません。


この漠然とした『真剣』という強迫観念は、毒にも薬にもなると思います。

 

俗にいう負けず嫌いというのは、この他者と比較した真剣さを上手く自身の糧に変えているんじゃないかなと感じます。他人の真剣に感化されて、 それに負けないくらい自分の真剣の具合を濃密にして言っているのではないでしょうか。一方で、私はこの魔物と上手く付き合うことができず、迷走した結果、『真剣さ=コンテンツにかけたお金』というような勘違いをすることになりました。このような方もいるのではないでしょうか。


この失敗については、今後どこかで記事にしてみたいと思います。


とはいえ、お金をかけることが失敗とは思いません。自分が納得した上でこのように考えて行動するのなら全然いいのだと思います。自分の『真剣さ』における責任を他者に預けたりしなければ、私はどのような形であれ、そのコンテンツへの向き合い方は『真剣』なんだと思います。

 

 

 

【納得が最優先】

 

結局のところ、『真剣さ』というものは人それぞれ程度が違います し、求めるものではないかと思います。『真剣』に遊ぶために努力する人もいれば、適当に遊ぶ人もいる。それはそれで、その人なりの『真剣』なのだと思います。


だからこそ、自分のペースで楽しむということに繋がるのではないでしょうか。

 

上記でAと私とのコンテンツに向き合った結果の違いを話しましたが、結果としてみれば私はまだ当時楽しんでいたコンテンツを楽しんでいます。 ミリオンライブがそうですし、アイマスというくくりであれば、もう13年近く楽しんでいます。


端から見て、『真剣』だと思われていなかった熱量でさえ、これだけ変わらずに楽しんでいればそれは『真剣』ではないでしょうか。惰性ととらえる方もいるかもしれませんが、惰性でやってたら年々、こんなに宮尾美也に対して愛くるしさを覚えませんし、美也をイメージしたお菓子を作ったり、美也のチャーハンを作った り、ましてやこんなブログなんて今更になって始めていません。


ただ、それでも自分より『真剣』だなと思う人は今でもいます。自分の中でどこかその人ほど『真剣』にはなれないなと思っていますし、そういう人はやっぱり眩しいです。憧れます。

 

こうして昔を振り返りながら一人で考えていると、コンテンツへの 『真剣さ』というのは行動ではなくて、結局のところ、『自分の中の納得』なんじゃないかと思います。


Aに対して『真剣』だと私は感じていても彼はそこで満足していませんでした。現状に納得していなかったのでしょう。一方で、当時の私は今のこの自分のままで充分だという納得があったために他者と自分との評価にズレがあったように思いました。


そう考えると、冒頭で”今は『真剣』に取り組んでいるものは無い ”と感じていたのは、現状にまだ納得していないからかなっと思うと、少し希望も感じます。


年を取って、自分の中でコンテンツに対しての熱が弱くなったのではなく、まだまだ熱を上げることができると自分を信じているように思えてきました。

 

 


長々と書きました。


ここまで読んだ方がどれだけいるかは分かりませんが、読んでくれた方がいると嬉しいです。


だらだらと書いて自分でも言いたいことが言えているのかちょっと分かっていないのですが、趣味は人と比べるでなく、自分のペースで楽しむのが1番です。


ただ、例えばライブに行くだとか、企画に参加するといった、自分が今までそのコンテンツでやって来なかったことがあれば、それに勇気を出して参加したりすることは大変だけどとても貴重な体験ができますよ。とは残しておきます。


現状に納得するのもいいですが、勇気を出して自身の殻を破るのも一つの楽しみだと思います。

 

必ず応援してくれる人はいますので。

 


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。