好喜心は何とかをなんとか

宮尾美也さんのことを中心とした私趣味のことを書いたブログです。毎週末付近に更新予定。

私はまだ宮尾美也を知らない

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【端書き】

 

先日、YouTubeをぼうっと見ていた時に、島田紳助氏がテレビに出ていた頃の切り抜きが流れてきた。『なぜ、勉強が必要か?』という問いに対して、『勉強をすると選択肢が増える』と娘が返して来て、感心した。といった内容だった。


これは確かに、そうだなと。動画では学校の勉強の話に焦点を当てていたが、これは学校の勉強だけでなくて、知識全般に言えるような気がする。 知識が豊かだと考えられる選択肢が増えるのだ。

 

1つ例を挙げる。店でお弁当を買った際に、おかずの下に少しだけパスタが入っていたりすることがあるだろう。味がなかったりして、なんで入っているのか分からないという人もいると思う。しかし、あれは『ガロニ』と言って、おかずの汁気を吸ったり、熱による容器の変形から守ったりする役割のために入っている、ということを知識として知っていると、アレの必要性を少しは理解することが出来るのではないだろうか。


このように知識が増えるということは、考えの幅を広げてくれるのだ。

 

話を本題にしたいと思う。

私は宮尾美也について、彼女の良さを話したい。


ただ、それを行うにあたって、私は彼女のことをよく知らないということを改めて知ることとなったのだ。

 

 

【無知無知】

 

そう感じた事の発端は、3月8日にTwitter上で行われていた、美也PとエレナPとのスペースでの対談を聞いたことだった。聞き始めたのは途中からだったが、ちょうど宮尾美也の話をしており、どなたが言ったのかは覚えていないが、『宮尾美也は過去に学ぶ』という見解に感銘を受けたのは記憶に新しい 。

 

このスペースを聞いて、宮尾美也の良さや人物像を自分の言葉に出来ていることが凄いなと感じた。前述したように、彼女のことを知っていないと 、こうした言語化というのは難しいと思う。一方で自分はというと、宮尾美也を可愛いと外見上の良さは語っても、その内面に触れて話をしたことはない。それどころか、チャーハンだとか、姓名判断といった彼女の名前を借りて悪ふざけのようなことをしていることが多く、独善的になっているように感じる。


宮尾美也の良さを言葉に出来るということは、裏を返せば、それだけ彼女の良さや彼女がどんな子なのかを知っているということだと思う。この点に置いて 、自分は宮尾美也と10年(実際には8年ほど)共に過ごしてきたにもかかわらず、自信をもって彼女のことを知っているとは言えないのだ。むしろ、うまく言葉に出来ないのだから、宮尾美也について私はまだまだ無知なのだろう。

 

彼女の良さを、魅力を肌で感じてはいるものの、それを言葉に表現出来ない自分にもどかしさを感じてしまうのだ。

 

ただ、ここで知らないと言い続けていても始まらない。宮尾美也の魅力を言葉にしたい気持ちは変わらないので、やることはただ一つ。彼女のことを知ればいいのだ。知らないことがたくさんあるということは、それだけこれから知ることが出来るということ。今の時点で、とても彼女に対して好意的な気持ちを抱いているが、まだ彼女についての魅力を知ることが出来ると思うと大変嬉しく思う。


無知ゆえに、また一から彼女のことを知ってみよう。そうすることでまた違った魅力に気づくことが出来るかもしれないのだから。

 

 

【私はまだ美也を知らない】

 

ひとまず、今年は10周年という節目の年でもあるのでじっくりと宮尾美也についての理解を深めていきたいなと考えている。彼女についての理解を深めることで、彼女の良さをアピールできる一助にもなると思うし、何より自分がもっと彼女のことを好きになれると考える。


現在行われている投票企画で、担当アイドルが配役と勝ち取れるように、アピールの文章や画像を作ってアピールされている人は、本当に素敵だと思う。担当のために…、という思いはあれどアピールの仕方が分からず、出来ずで今に至ってしまっている自分とは天と地ほどの差がある。ただ、それを嘆いていても何も変わらないので、残りの期間で、少しでも宮尾美也のためになれるよう努力してみようとも思っている。

 

ただ、それを行うためにも、まずは彼女について理解を深めていこう。

 

私が彼女を知ることが、宮尾美也自身のためになると信じて、今までより一歩、その奥へと歩み寄ってみようと思う。そして、そこで見たもの、感じたものを言葉に出来るようにしていきたい。

 

彼女は魅力の宝庫だと確信している。

 

ただ、それを自分以外の方に説明できるほど、私はまだ宮尾美也を知らないのだ。