好喜心は何とかをなんとか

宮尾美也さんのことを中心とした私趣味のことを書いたブログです。毎週末付近に更新予定。

どくはく【4】

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私には見えないものが見える。

 

 

記事の冒頭から矛盾したことを言っていて笑われれるかもしれないし、数少ない読者を惹きつけるために、言うに事欠いて、いよいよオカルトめいたことを出だしたかと思われるだろう。


とはいえこれは事実なのだ。ただ、少し表現が誇張しすぎてた。


見えないものが見るというより、見えているように感じるのだ。

 

ココで私が見えているのは幽霊やお化けといったものではなく、俗にいう『イマジナリーフレンド』の類であると思ってもらえると分かりやすいだ ろう。常日頃見えたりするのではなく、特定のタイミングで姿が見える気がしたり、声が聞こえるように思うのだ。


勘違いや思い込み、と言われればそれまでなのだが私の中ではこれは事実なのだ。


なぜ、こんなオカルトチックな話を今回したかというと、最近またこれらの出現率が上がっているためである。上記したように、これらは主に特定のタイミングでしか現れない。そのタイミングというのが、『私が新しく何かを始めようと思い立った時』なのである。


新しく始めるといっても、仕事や私生活では現れず、そのほとんどが私の趣味の世界を広げようと思う時に現れるのだ。以前のブログで、数年前に私は友人を失ったという話をしたかと思う。主にイマジナリーフレンドはその友人の姿を模して現れることが多い。


新しい分野を開拓しようとしたり、今まで手を出してこなかったことを始めると、「意味がない」とか「中途半端だ」といった言葉が飛んでくる、ように感じてしまう。ここがミソであり、これらの言葉は関係があった時に言われた言葉もあれば、そうでないものもある。どちらかと言えば、そうでないもののほうが多いか
もしれない。イマジナリーフレンドが出るようになって、もう2年近く経つため幾らか耐えられるようになってきたが、まだにこの記事を書いているだけでも胃の奥をグッと掴まれるような感覚に襲われる。


思い返せば、投げかけられる言葉の多くは関係があったころ、私自身がこうしたら、きっと相手にこう言われるだろうといった憶測のもとに私自身が考えていた言葉である。当時もこれが原因となり少しずつ自分の行動や発言が縛られていき、苦しい思いをした。そして結果、関係が途絶えてしまった。自分の中で肥大化してしまった憶測の友人に自分自身が耐えられなくなってしまったのだ。


今では、それが自分から飛び出して外の世界にまで出現し始めている。あの時と同じように、私が何か始めようとすると心無い言葉をかけてくる。 だが、きっとそれは友人ではなく、私自身の心が私に言い聞かせているのだろう 。その言葉を、かつての友人の姿を借りてあたかも他者に言わせているのだから、 自分の心の卑
怯さと惨めさに嫌気がさす。


自分の好きな漫画の1つでもある『スティール・ボール・ラン』に こんなセリフがある。

 

「『人ハ何カヲ捨テテ前ヘ進ム』ソレトモ 『拾ッテ帰ルカ』」

 


結果として、私は友人を捨てて前へと進んだ。そして、その進んだ道の先で今度はまた別の友人を失うことになるのだが、決して心が晴れたことはない。自分が歩んだ道が、世界が、正しかったと言い聞かせるように、また私は 、わたしが楽しいことを探し、憂う心にかかる靄を振り払う。


きっとこの先も、この見えないものは私に付きまとってくるだろう 。


この見えないものを捨てたとき、私は1歩前に進めるのかもしれない。