好喜心は何とかをなんとか

宮尾美也さんのことを中心とした私趣味のことを書いたブログです。毎週末付近に更新予定。

黒澤流オノマトペ

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・俺か、俺以外か

 

 先日、今年に入ってからまだ本を1冊も読んでないなとふと思い、Kindleでローランドさんの『俺か俺以外か ローランドという生き方』を購入した。彼の名言というか言葉は、彼について詳しくない私も1つや2つくらいなら聞いたこともあった。今回はその言葉の解説というんだからどんな言葉が飛び出すのか、どんな考えでそれを話していたのかを本人が説明するというんだから読む前から楽しみである。

 

 表紙をめくり目次を見ようとするも、目次よりも先に彼の写真が写っているページがいくつか出てきた、どうやらありきたりな本ではないという感じがこのあたりからヒシヒシと感じてきた。

 

 そこから、数ページめくると目次とご対面。彼の言った言葉がそのまま目次になっているため、気になる言葉をすぐに読みに行けて利便性は高い。聞いたことあるものから、初めて聞いたもの、もはや大喜利かと思うような言葉もあり、日常でどういうタイミングでこの言葉を使ったのか、気になりだしてくる。もうこの時点で彼のファンになりつつある。

 

 内容については実際に読んでみてほしいので詳しくは書かないが、結構面白い。こうした考え方もあるのだなと世界が広がる。私生活もプロ意識を絶やさないってのはホント凄いと思う。

 

そんな本の中で彼は初めにこう言っている。言葉は芸術品だと。そのどれもがこうした意図で、こういうことがあってと語るのは本来は野暮であり、それを聞いた人がいろいろと想像してほしいと言っている。

 

 以前、某SNSに『皇族ってなんで先にコロナのワクチンを打たないの?』という質問があり、それに『後続だからですよ』と自分の中では最高に面白いと思った答えを返したが、無視されてしまったことを女々しくいろんなところで話し、称賛してほしいと思っていた自分とは大きく違うところに衝撃を受けた。

 

 さらには、こうした言葉はローランドだから発していると言う。というのは彼が歩んできた人生があり、彼の考えや思いがあったから出た言葉であるから、それを他の人が言っても中身がないとも言っている。

 

 本を読んでいないことを建前とし、本当はローランドの名言を黒澤ダイヤに言わせたら面白いのではないか、しっくりくるものはあるんじゃないか探ってみよう、と思ってこの本を読みはじめた自分がハッと気づかされるような思いだった。

 

ローランドの言葉はローランドの

黒澤ダイヤの言葉は黒澤ダイヤ

 

人の言葉を語っても所詮は借り物の言葉。

中身がないのだと。

 

 

・ぶっぶーですわ

 

 ブログの種にしようとしていた本に、そのブログの構想ごと叩き壊されてしまったため、どんなブログを書こうか迷ったところ、ここは前述した借り物の言葉でなく彼女自身の言葉をメインにして何か考えてみようと思いなおし、ここからは私の好きな黒澤ダイヤの言葉から1つをピックアップし彼女の魅力を紐解いてみようと思う。

 

早速いってみよう。

 

『ぶっぶーですわ』

 

言わずと知れた彼女を表す言葉がこちらであろう。否定から注意に至るまで用途は多岐に渡り、とりあえずAquorsの誰かが間違ったことをすれば飛び出してくるので、聞いたことある人も多いはず。ただ注意するのではなく、彼女の持つ本来の可愛らしさが滲み出ていると私は考える。

 

 ここからは私的な考えであるが、黒澤家の子供は本来は2人ともルビィのような子であったと考えている。ただ、成長する中で彼女は自身の立場や地域としての自身の家事情などを彼女なりに考えた際に、しっかりしなくてはいけないと思い、皆のあこがれる黒澤ダイヤを作り上げたと個人的には考えている。そのために優等生なお堅いイメージを抱かれることはあるがその本質はルビィに似ているためにこうした言葉一つ見てもどこか年相応、あるいは少し幼い表現になっているのではないかと勝手に考えている。

 

  考えてみればこの「ぶっぶー」という言い方がミソである。彼女自身、否定したり何かが違うという時には、「違いますわ」ということもあるのになぜこの言い方なのか…

 

答えは意外なところにあった。それは”音”である。この「ぶっぶー」という言葉、どこかで聞いたことはないだろうか…。

 

もう少しヒントを出すと、この言葉の母音に注目してほしい。

 

 

ぶっぶー → うっうー

 

 

 

 

 

 

 

 

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察しのいい方ならもうお気づきであろう。

 

この言葉は、高槻やよいちゃんの代名詞ともいえる「うっうー」と全く音が同じなのである。これは偶然か、それとも神の悪戯か…はたまた、スクールアイドル好きのダイヤさんが高槻やよいを学生でありながらアイドルをしているということで、スクールアイドルとカテゴライズした上でのリスペクトなのか。

 

真相はわからない。だが、このことから一般社会では聞きなじみのない「ぶっぶー」という言葉もすんなりと受け入れられたのではないだろうかと私は考える。

 

黒澤ダイヤ。言葉一つとっても考察のし甲斐のある魅力的なアイドルである。

 

彼女に興味のあまりなかった方もこれで少しは興味が出たのではないだろうか。

 

ぜひ、彼女の魅力を知ってほしい。